本音は活性化の元
単純明快な判断基準
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「心・技・体」、「真・善・美」、「清く・正しく・美しく」等 シンプルに表現された価値基準がある。
今日の日本の企業、国家自体が低迷状況にあるのは、判断基準が、どこの世界でも
またいかなる事にも 言い訳が出来る柔軟な基準、に成ってることに 大きな原因がある。
>例えば、「本音と建前」のように、判断基準に違いがあるばかりでなくて、二重性・三重性・多重性がある。
「表の基準と裏の基準」があり、裏の基準で動いているコミュニテイーは閉鎖社会にならざるを得ない。
そして、裏の基準が表の基準に基づく行動を鈍らせている。
組織の中でよくある例は
@ 社長が客先や銀行に対して言うことと、社内で言うことに大きな違いがあると、
「嘘も方便」がまかり通るようになり、真実が見えなくなる。
A中間管理者が社長に対して言うことと 部下に対して言うことに違いがあると、
社員は意見をはっきり言うことが出来ない。俗に言う「梯子を外される」からだ。
B外注・協力会社との関係に二重性が有ると、「腹の探り合い」になり、真の協力は得られない。
C人事評価と昇進・昇給の関係に二重性が有ると、社員の態度にも二重性が出るのは当然で、
社員同士と会社に対する信頼関係は薄れ、生産性は改善されない。
D 判断基準が不明確で、時と場合によってくるくる変わると、社員は自己の都合のみを優先するので、
不正がはびこる。そして「閉鎖性」を築きかつ守ることになる。
このようにして 政界や産業界に腐敗が生まれ、談合、汚職、クレーム隠し、偽表示、公金詐取、
等の反社会的行為が横行する事となり、結果として組織の存続すら危うくなる。
「二重・多重帳簿」を改めて、価値基準を一つにし、何時でも、何処でも、誰でも、
(外人であれ、日本人であれ、平社員であれ、社長であれ)
「ダメなものはダメ、正しいことは正しい」とはっきり判るように、判断基準を透明でシンプルにする。
長期間「勝手」基準・腹芸でやってきた経営者には、反省しても実行でき難いことで、
深い洞察力と並外れた謙虚さ、そして強い指導力とが無ければ切り抜けられない事なのだ。
日本型経営と言われる中で 「何故だ?」と突っ込まれた時に、シンプルで明快に答えられずに、
「私は貴方に賛成だが、上の人が決めたので・・・」と二重帳簿的答えをする社員が 貴方の会社には
居ませんか。
我々は 今なんとしてもこれを改めなければならない。
その結果 国際的な広がりの中で、判断基準が全社員にわかりやすい基準となり、
社員間の信頼が確保され、社員が一つにまとまることが出来る。
時・場所・人に左右されずに、正しいことが正しいこととして通る、
透明でオープンな、そして 判りやすくスピード感のある組織・社会を築くことになる。
本音は 単純基準への近道
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長野県知事選挙(9月1日投票)で田中康夫がまた県知事になった。
「長い物には捲かれろ」で権力と男の言うとおりになっていた田舎のおばさん達が、捲かれずに、本音で投票した。
田舎では、大方の人は村の有力者と言われる人の意見に従ってきた。女の人達は家長の言う通りにやってきた。
ダムが出来て先祖代々住んでいた場所から引越しさせられる。「いやだ」と思っても、有力者が賛成だと言えば、
それに逆らわず「よろしくお願いします」と言ってきたなかった。
本音を言うことは村中を敵に回すことだと思ってきた。
選挙では「票田」と称して、自分の意見を表にださない人達を「田」に例えた。
「田」が市民に転換した。市民が「市民としての力」を発揮しだしたことが、今回の長野県知事選挙で明確になった。
今まで溜め込んできたエネルギーを緩和すべく、地殻が変動した。
「長い物が」庶民を捲ききれなくなった。庶民は「捲かれなく」なった。
そして、権力と男社会を支えていた「建前と本音」と言う
価値基準の二重構造・複式基準が崩れ、「建前」が表から引き摺り下ろされて力を失い、
事実に基づく「本音」が、単一価値基準として本格的に通用するようになた。
田中真紀子が「『前に行け』と言うから前に出ようとすると、誰かがスカートの裾を踏んでいる」と言った。
田中真紀子は本音の単一基準でやろうとしたのに、周囲は建前を表に出した二重構造・複式基準でやっている。
「これでは議論にならない。改革の意味すら判らなくなる」と言ったのだ。(外交の場は分からない)
情報公開すれば、事実がハッキリする。
複式基準でやって来たことを公開するには、情報を塗り潰さないと「裏側」が見えてしまい、
事実・本音に基づく単一価値基準では「不正」と成ってしまう。
この現象は、外務省の一連の腐敗とそれに対する対応を見れば明らかだ。
東京電力が原子力発電所の検査結果を捏造して、「事実でない(虚偽の)」報告をしていた。
多くの社員が知っていたという。
社員達は、丁度「村の為に本音を発しなかった」長野県の田舎の人たちのように、
「会社の為に、建前」で仕事をしていたのだ。
折角危険を予防する為に検査しているのに、原子炉が危険な状態に有ることを隠しては意味が無い、
と思う人がいて事実をばらした。
世間は「(本音)事実」を支持した。
そして、日本の経済界をリードしてきたと言われる「建前で仕事をさせていた」会長や社長が
、職を追われると言う結果になった。
彼等は時代の流れに逆らって、複式基準の中で「指導者」として胡座をかいていて「ゆで蛙」に成った。
これほど日本が世界に恥を晒したことはあるまい。
三井物産、日本ハム、雪印、ミズホ・フィナンシャル少し遡って三菱自動車など、
複式基準で仕事をさせている大企業が問題を起こしている。
ISOの監査を誤魔化す中小企業の経営者・品管部長も、複式基準が身に着いてしまって
「嘘を平気でつく(複式基準の)日本人」から脱皮出来ずにいはしないか?
また監査する側も、捏造された「いい子の(嘘の)答え」を後生大事にしていないか?
会社の経営実態を社員に開示できずに、「建前」でカラ元気を出して
「顔で笑って、腹に苦渋」を溜め込んで、
社員の協力も得られずにいる経営者はもう古い。
事実を正直に開示して、弱点を強化することに努め且つ協力を求める。
この手法こそが、人々のベクトルを揃えて発展に向かわせる近道だ
職場の価値基準を、事実を正直に話せる「単一基準」に転換し、
笑顔で議論ができ、判りやすくて速く結論が出せる職場にしよう。
現在の日本経済の停滞は複式基準に起因する、と言える部分が大きい。
情報公開を梃子にして、単一基準に転換することが肝要である。
田舎のおばちゃん達が、単一基準の「本音で語る長野『賢人』」に変身したことに学ぼうではないか。
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